立花隆の「ぼくはこんな本を読んできた」を読んだ。2006-07-03 の「書斎を作る」の続き。
立花隆はジャーナリスト。昔は今よりも勢いと人気があったようだ。
彼の使っている机については、85ページからの「机を求めて」の節に書かれていた。単行本化する前の出典は (『図書』一九八四・九) となっている。彼が理想の机を手に入れるまでの過程は、読んでいてちょっと面白かった。
私は昔から既製品の机の大きさに不満を持っていた。小さすぎるのである。すぐに机の上がいっぱいになってしまう。
ちょっとやそっとの力でゆすっても、ビクともしないような頑丈で重量感のある机で、しかも、九十センチX一八〇センチくらいある巨大な机がほしいと思って、あれこれ探し歩いた。
(略)
結局、机として作られたものは、大きさからも、作りの堅牢さからもすべて落第だった。
(略)
最終的に私が選んだのは、横浜元町家具で作っている一メートルX二メートルの特大のダイニング・テーブルだった。板厚が四・五センチ、足が一〇センチ角のオーク材で、きわめてシンプルな作りのものだが、大人二人で持ち上げるのがやっとという重量級で、どんなにゆすってもビクともしない。
見て歩いた中で最高に気に入ったのだが、値段もとびきりである。約四五万円もするのだ。
この後、彼は購入について迷い続けることになる。何度もお店に行ってテーブルをなでまわし、そしてさらに欲しくなって悩む。ここらへんの行動がちょっとかわいい。
最終的に彼は購入に踏み切る。高いと言っても車よりは安い。また、文筆業では机が仕事に貢献する度合いは非常に高いということで買ってしまう。仕事に対する貢献度を判断基準に入れているのは合理的だ。快適な環境があるかどうかというのは、長期的に見て仕事の質と量を大きく左右するからだ。こうすると高い物を買うときに踏ん切りが付きやすい。
一方、車より安いからという考え方は、場合によっては危険なのであまりおすすめできない。とくに、趣味の品を買うときにこの論理を使い続けると身を滅ぼす。オーディオ、テレビ、ゲーム、服、時計、アクセサリ、PC、CD と、ちょっと挙げただけでもこれだけある。良いものはよいのだけど、価格性能比と耐用年数を考えることは重要だ。
この判断は正しかった。いまでも私はこのテーブルが日本で入手できる最高の机だと思っている。そして、いい机という条件が、もの書き稼業にとってこんなにも大切なものかということを日々に痛感させられている。
ここまで満足しているわけだし、彼の仕事を考えると良い買い物だったということには同意。
- メモ
やっぱり机は広い方がいい。その利点はものをたくさん置けるということでしかないが、机の機能を考えると最も重要なことだ。メモリを十二分に搭載したマシンと同じで、一度広い机を体験してしまうともう戻れないんだろうな。ダイニングテーブルで 200cm * 100cm って特大というほどでもないと思う。短辺を使わなければ、だいたい6人がけ位かな? ただ、これを一人で机として使うというのは確かに贅沢だ。
彼の机についての文章は、今から20年以上前に書かれたことになる。その頃は本当に広い机が少なかったのかもしれない。住宅・オフィス事情が良くなった今なら、もっと手頃な値段でよい机を得られるのでは?
ダイニングテーブルを選んだのは見習うべきものがある。広くて頑丈な机が必要なんだという本質を見落としていないからだ。私が机に求めている基本機能もその二つ。私はどんな机を選ぼうかなあ。
インターネット書斎術を読了した。読了まで26分19秒62。2006-07-03 の「書斎を作る」の続き。
2001年から2002年くらいにかけてのインターネットの使い方や紹介についての本であり、書斎についての本ではない。たとえば3章にはインターネットを使った感想が書いてあるが、2006年の現在では必要ないので流し読み。
わずかながら書斎についての記述はあった。もっとも重要な周辺機器は机で、次いで椅子と書見台が重要というものだった。
もう一点心に残った文章。
122ページ
誰でも本にする題材は持っているという指摘。これってウェブサイトにもそのまま当てはまる。当サイトなんて上記3つのテーマしか書いてない。でも、だからこそ書けるということだ。
2001年から2002年くらいにかけてのインターネットの使い方や紹介についての本であり、書斎についての本ではない。たとえば3章にはインターネットを使った感想が書いてあるが、2006年の現在では必要ないので流し読み。
わずかながら書斎についての記述はあった。もっとも重要な周辺機器は机で、次いで椅子と書見台が重要というものだった。
もう一点心に残った文章。
122ページ
誰でも三冊は本が書ける。自分の経歴や思い出から一冊。仕事から一冊。趣味から一冊。ほんとは、プロになるには、それ以外の何が書けるかということなんだけどね。
誰でも本にする題材は持っているという指摘。これってウェブサイトにもそのまま当てはまる。当サイトなんて上記3つのテーマしか書いてない。でも、だからこそ書けるということだ。
「リンボウ先生の書斎のある暮らし―知のための空間・時間・道具」を読了した。読了まで1時間53分。2006-07-03 の「書斎を作る」の続き。
「リンボウ先生の書斎のある暮らし―知のための空間・時間・道具」は、著者である林望 (はやし のぞむ、愛称リンボウ) が、文筆業という立場から書斎を論じた本。単に書斎の作り方や使い方だけでなく、彼の考えるライフスタイルから書斎の意義について語っている。もともとは「書斎の造りかた」という書名だったが、文庫として収録されるにあたって改題したようだ。
この本の内容は多岐にわたる。書斎の定義から始まり、書斎の作り方と備品や什器の選び方、書斎での時間の過ごし方、文章の書き方、果ては書斎を通したライフスタイルから趣味の持ち方にまで及ぶ。
私は、自分の書斎をどう設計しようか、他の人たちはどんな書斎を持っていて、なにを重んじてそういう設計にしたのかを知りたくてこの本を手に取った。そんな私にとって有用だったのは、2章と5章。書斎の造り方の方法論が書いてあり、参考になる。とくに、固定観念にとらわれずに、自分がの用途と道具と環境に合わせて書斎の設計を考えるのが大切という姿勢は、大いに見習うべきものだ。
57ページ
5章の細かい方法論は参考になった。
「光は頭上の左後方から当てると本を読むときに反射が少なくて良い」とする照明の当て方。PC と本を同時に参照する場合はの書見台の活用。「機能重視のOAチェアが一番」と断言した椅子の選び方。一つ一つが著者の実体験から語られており、有用だった。私も書見台は10年くらい前から使っているが、かなり便利だ。
一方で、1章、3章、4章、6章、7章、8章、9章はちょっと趣向が異なる。後半の章で語られるライフスタイル論は筆者の知見を表していて面白い。しかし、前半の章にある「パソコンの使い方」や「文章の書き方」などは、本気で学びたいのなら他の本を読んだ方がいいだろう。著者の生き方や考え方のファンなら面白いと思うかもしれないが。
31ページ
確かにゲームというのは、限定されたルールのなかで遊ぶという状況が多い。しかし、限定と制約が絡み合ってゲームの面白さが作り出されるということを、著者は見落としている。
また、ゲームの面白さはジャンルによって千差万別だ。動物的で本能的な快感を刺激するゲームや、ゲームそのものよりもゲームを通したコミュニケーションを楽しむというものある。一概に「理解できない」とするのは乱暴すぎる。
さらに、著者は以下のようにも書いている。
32ページ
そして、「ダラダラとテレビを見るのはダメだが、能動的に見るテレビなら良い」としている。ダラダラするのはダメというのには納得できる。しかし、ゲームは能動的に楽しむのでさえダメ、何が面白いのか全く理解できない堕落した遊びであるというのは、あまりに狭量な意見だ。方法論は合理的だが、思考に柔軟性が感じられないのが残念だ。
- 「リンボウ先生の書斎のある暮らし」に書いてあったこと
「リンボウ先生の書斎のある暮らし―知のための空間・時間・道具」は、著者である林望 (はやし のぞむ、愛称リンボウ) が、文筆業という立場から書斎を論じた本。単に書斎の作り方や使い方だけでなく、彼の考えるライフスタイルから書斎の意義について語っている。もともとは「書斎の造りかた」という書名だったが、文庫として収録されるにあたって改題したようだ。
この本の内容は多岐にわたる。書斎の定義から始まり、書斎の作り方と備品や什器の選び方、書斎での時間の過ごし方、文章の書き方、果ては書斎を通したライフスタイルから趣味の持ち方にまで及ぶ。
私は、自分の書斎をどう設計しようか、他の人たちはどんな書斎を持っていて、なにを重んじてそういう設計にしたのかを知りたくてこの本を手に取った。そんな私にとって有用だったのは、2章と5章。書斎の造り方の方法論が書いてあり、参考になる。とくに、固定観念にとらわれずに、自分がの用途と道具と環境に合わせて書斎の設計を考えるのが大切という姿勢は、大いに見習うべきものだ。
57ページ
かくのごとく、何事も固定観念を覆して考えるということがすごく大切だということです。コンピュータだったら、コンピュータ専用の台が必要だとか、("蛍の光窓の雪"の時代と変わりなく) 机は窓のすぐ下に置いてとか、南に庭をとってとか、こういう固定観念は大禁物です。何がもっとも合理的かと考えていくこと、書斎を造る上でも、これがすごく大切なことなんですね。
5章の細かい方法論は参考になった。
「光は頭上の左後方から当てると本を読むときに反射が少なくて良い」とする照明の当て方。PC と本を同時に参照する場合はの書見台の活用。「機能重視のOAチェアが一番」と断言した椅子の選び方。一つ一つが著者の実体験から語られており、有用だった。私も書見台は10年くらい前から使っているが、かなり便利だ。
一方で、1章、3章、4章、6章、7章、8章、9章はちょっと趣向が異なる。後半の章で語られるライフスタイル論は筆者の知見を表していて面白い。しかし、前半の章にある「パソコンの使い方」や「文章の書き方」などは、本気で学びたいのなら他の本を読んだ方がいいだろう。著者の生き方や考え方のファンなら面白いと思うかもしれないが。
- 方法論は合理的だが、思考の柔軟性に欠ける
また、1章の「書斎の定義」での著者の視野の狭さが気になる。書斎は知的生産のためのもので、ゲームやテレビなどがある部屋は書斎の広い定義からも除外したいという趣旨の記述には賛同できない。考え方は人それぞれなので、ゲームやテレビ鑑賞の良さを理解したくなければそれはそれでいいが、私はこういう立場で書斎を定義したくはない。31ページ
同時に、テレビゲームをやるということも、私は書斎の営為としては除外して考えるのが筋だと思います。私は、なんでああいうものが面白いのか、まったく理解できません。ロールプレイングゲームなんて言ったって、しょせん人間が考えた一定のプログラムの上で遊んでいるだけであって、無限の可能性のある自然とは全然違うわけだから。
確かにゲームというのは、限定されたルールのなかで遊ぶという状況が多い。しかし、限定と制約が絡み合ってゲームの面白さが作り出されるということを、著者は見落としている。
また、ゲームの面白さはジャンルによって千差万別だ。動物的で本能的な快感を刺激するゲームや、ゲームそのものよりもゲームを通したコミュニケーションを楽しむというものある。一概に「理解できない」とするのは乱暴すぎる。
さらに、著者は以下のようにも書いている。
32ページ
むしろそういう俗世間の、通俗な堕落した遊びからは無縁でありたいと願う人のための橋頭堡が書斎だというふうに思っているので、書斎の中ではまずテレビというのは必要がない。
そして、「ダラダラとテレビを見るのはダメだが、能動的に見るテレビなら良い」としている。ダラダラするのはダメというのには納得できる。しかし、ゲームは能動的に楽しむのでさえダメ、何が面白いのか全く理解できない堕落した遊びであるというのは、あまりに狭量な意見だ。方法論は合理的だが、思考に柔軟性が感じられないのが残念だ。
- 人によって必要な書斎が違う
この本では、著者の考える領域の「知的生産」をする部屋を書斎としている。しかし、私が必要としている書斎は違う。偏狭な一部の領域に限ることなく、私の持っている音楽、ゲーム、本、映画、仕事、その他もろもろの学習や趣味を、効率的・機能的に楽しめる部屋、それが私が求める書斎だ。そういう書斎を作ることにしよう。書斎がほしい。自分好みの書斎を作ろう。
さて、勉強も一段落した。本格的に次の勉強を始めるまで多少の時間の余裕がある。今のうちに、納得いくように模様替えをしておきたい。
部屋は十畳のフローリングの洋室で、形は長方形。その短辺の左右の角にはスピーカーを配置している。短辺の中央にメタルラックがあり、2004-05-30 の「次に買うテレビの要件定義」で書いた10年物の29インチのテレビ SANYO の C-29F30、2005-05-02 の「AV アンプ KENWOOD KR-V999D のメモ」で書いた AV アンプ、CD プレイヤー、ゲーム機、良く聴く CD などを置いている。そして、スピーカーの音が最も良く聞こえる位置に椅子がある。つまり、スピーカーとテレビと椅子から位置決めをしていった部屋だ。ちなみに、椅子とスピーカーの間には何も置いていない。テーブルなどがあると便利なんだろうけど。
この配置にしてからもう数年経つが、音楽とゲームを楽しむにはとても良かった。テレビを中心としてスピーカーの音場がきれいに作られる。ただ、スピーカーの間にテレビやラックなどのを置くのは、本来ならば音を反射してしまって音の位置がぼやけるので良くないとされる。ピュアオーディオ的には「定位が悪くなる」と呼んで良くない配置とされるが、ゲームや映画を見るにはこの方が都合がいいので気にしていない。
今部屋に置いてある机は幅105cm 奥行き75cm のそれほど大きくない座卓で、PC のディスプレイなどを置くために使っている。座卓のため椅子と高さが全く合わず、勉強するときは椅子を使わずに床に座布団を敷いてそこに座っていた。これが私の身体に合っていないため、非常に疲れる。できるだけ広い机と、座り心地の良い椅子がほしい。この夏の賞与は机と椅子に使うことにしよう。そして、書斎として使えるようにしたい。
机の置き場所も変えよう。いままでは音響とテレビの前の空間を確保するために、スピーカーやテレビの前には何も置かず、椅子だけを置いていた。それ以外のものは空いた所に順番に配置したが、今度はテレビとスピーカーの目の前に机を置くことにしよう。そして、その机に向かうために椅子を置くことにする。、椅子とテレビの間に物を置くこともいとわない。そこに物を置くことは音響的にはよくないけど、部屋の用途を変えるんだから妥協せざるを得ない。
そもそも、書斎ってどんなことに注意して作ればいいんだろう? 書斎のデザインパターンとアンチパターンを知りたい。やっぱり本を読むのがいいかなあ。書斎に関する本を何冊か読んでみることにしよう。
- 勉強してたら模様替えをしたくなった
少し前まで、一日の自由時間のほとんどを勉強に費やしていた。私の場合、勉強していると雑念が浮かんでくる。本を読みたくなったり、ゲームをしたくなったり、買い物に出かけたくなったり、友達に会いたくなったり、部屋の模様替えをしたくなったり。ところで、どうして勉強の合間にやるゲームはこんなにも楽しいんだろう? 単に装備を買いに行ったり、雑魚敵を倒しているだけだったりするのにね。逃避は蜜の味ってことなのかな。さて、勉強も一段落した。本格的に次の勉強を始めるまで多少の時間の余裕がある。今のうちに、納得いくように模様替えをしておきたい。
- 今の部屋は音楽と読書とゲーム重視
今回模様替えを考えている部屋の現在の用途は、寝室、音楽鑑賞、読書、ゲーム、学習などだ。中でも、音楽とゲームを重視した配置になっている。ちなみに、リビングやキッチン、食堂などは別途そのための部屋があるので、それらの機能は用意していない。部屋は十畳のフローリングの洋室で、形は長方形。その短辺の左右の角にはスピーカーを配置している。短辺の中央にメタルラックがあり、2004-05-30 の「次に買うテレビの要件定義」で書いた10年物の29インチのテレビ SANYO の C-29F30、2005-05-02 の「AV アンプ KENWOOD KR-V999D のメモ」で書いた AV アンプ、CD プレイヤー、ゲーム機、良く聴く CD などを置いている。そして、スピーカーの音が最も良く聞こえる位置に椅子がある。つまり、スピーカーとテレビと椅子から位置決めをしていった部屋だ。ちなみに、椅子とスピーカーの間には何も置いていない。テーブルなどがあると便利なんだろうけど。
この配置にしてからもう数年経つが、音楽とゲームを楽しむにはとても良かった。テレビを中心としてスピーカーの音場がきれいに作られる。ただ、スピーカーの間にテレビやラックなどのを置くのは、本来ならば音を反射してしまって音の位置がぼやけるので良くないとされる。ピュアオーディオ的には「定位が悪くなる」と呼んで良くない配置とされるが、ゲームや映画を見るにはこの方が都合がいいので気にしていない。
- PC と学習重視の部屋にしたい
さて、音楽やゲームをするには良い部屋だったが、今後は PC と読書、学習を中心とした部屋にしたい。つまり、書斎にしたい。そのために必要なのは机と椅子だ。今部屋に置いてある机は幅105cm 奥行き75cm のそれほど大きくない座卓で、PC のディスプレイなどを置くために使っている。座卓のため椅子と高さが全く合わず、勉強するときは椅子を使わずに床に座布団を敷いてそこに座っていた。これが私の身体に合っていないため、非常に疲れる。できるだけ広い机と、座り心地の良い椅子がほしい。この夏の賞与は机と椅子に使うことにしよう。そして、書斎として使えるようにしたい。
机の置き場所も変えよう。いままでは音響とテレビの前の空間を確保するために、スピーカーやテレビの前には何も置かず、椅子だけを置いていた。それ以外のものは空いた所に順番に配置したが、今度はテレビとスピーカーの目の前に机を置くことにしよう。そして、その机に向かうために椅子を置くことにする。、椅子とテレビの間に物を置くこともいとわない。そこに物を置くことは音響的にはよくないけど、部屋の用途を変えるんだから妥協せざるを得ない。
- みんなはどんな書斎を持ってるんだろう?
ところで、みんなはどのような環境で読書や勉強、プログラミングしているんだろう? やっぱり机があって、そこに PC を置き、本を広げたりしているんだろうか? こたつを机にしてたりすることもあるけど、友達の部屋はだいたいそんな感じだなあ。そもそも、書斎ってどんなことに注意して作ればいいんだろう? 書斎のデザインパターンとアンチパターンを知りたい。やっぱり本を読むのがいいかなあ。書斎に関する本を何冊か読んでみることにしよう。